母乳栄養

赤ちゃんにとってもっとも大切なのが母乳栄養です

哺乳類(ほにゅうるい)が最初に地球上に出現したのは、今から1億5000年前です。
そのころは爬虫類(はちゅうるい)全盛の時でしたので、最初の哺乳類は鼠のような目だたない動物でしたが、いまや、爬虫類を押し退ける形で、全地球を覆い、哺乳類の全盛時代です。
その理由は哺乳という優れた育児システムにあるといわれています。
魚類や爬虫類の子どもは、体内に取り込んだ卵黄だけが最初の栄養で、それを使いきると今度は自分でえさをさがし食べなければなりません。
鳥類では親がえさを与えてくれますが、ひなのたべられるえさは限られているので、親鳥はそのえさを探すのに大変です。
しかし哺乳類の新生児は、自分でえさを探す必要はありません。母親が健康でさえあれば新生児にとって完全な栄養の乳汁が必要な時に必要なだけ得られます。
そして、乳房や乳頭、乳汁は、それぞれの哺乳類の種にあったように特殊化していています。例えばオランウ−タンは子どもを片手で抱くので乳首は体の外側を向いていますし、猫や犬のように沢山の乳首を持っているのもいます。
また猿のように常に子供を抱いているものは乳汁の濃度は薄く、子供を巣に残すライオンなどでは乳汁の濃度は濃いのです。
そしてこの哺乳期間の間に、哺乳類の子どもは母親と共にいることで自分の種族の行動を学習して行き、文化は母から子へと伝わってゆきます。このような優れた性質を母乳栄養は持っているので、哺乳類が栄えているのです。
哺乳類の栄えている期間は約7000万年間で、いまも続いています。

そのような重要な母乳ですが、残念ながら、人類では全ての女性が充分な母乳を与えることはできなくなっています。
そこで人工乳が考えられたのでしょう。
日本で最初の人工乳は大正6年頃と言われています。
しかし一般の母親は母乳が足りない時には、もらい乳や牛乳、やぎの乳、砂糖湯、うすい重湯などをなんとか飲ませたとの事です。
私(秋山)も、生まれた時にはほとんど母乳を飲まず、産婆さんから「子どもの命はあきらめろ」といわれたとの事ですが、母親がなんとか工夫して飲ませてくれたため、その子は、多少の後遺症はあるかも知れませんが、今の所は充分すぎる程成長してしまいました。
昔は、母乳が不足することは今よりはるかに深刻な問題だったのでしょう。いろんな神社には母乳が出る様にと願をかけた絵馬が奉納されているとの事です。

旧稲川町西川連の奥にある神社は、昔の事でしょうが、母乳が出る御利益があるとの事。車で行きましたが小さな祠で、絵馬はありませんでした。今後も(私が充分に歩けるようになり)チャンスがあれば、色々めぐってみたいですねえ。

人工乳、いわゆる粉ミルクは牛乳を原料にしてつくられています。でも単に牛乳を粉にしただけではありません。牛乳を原料にして牛乳に色々な操作を加えて赤ちゃんにあったようにし、さらにビタミンなども加えてできるだけ母乳にちかづけてあります。

自分の母乳を赤ちゃんに含ませるということは、女性にしかできないうれしさでしょうね。
どうしても母乳が出ない場合とか職業上やむを得ない場合に人工乳を使いましょう。

2009年春に私(秋山)の孫が生まれました。母は、最初は、母乳に大変苦労しました。生んだ病院の”あか”助産師のやさしい手助けで、何とか乗り越え、母乳栄養は、母や孫の両方にとって、とても楽そうでした。
いつでも、(チョット服で隠せば)どこでも、母乳を与えられるのですから。

産科病院でも、残念ながら全部の産科病院が母乳栄養に熱心ではありません。
ぜひ母乳に熱心な病院を撰んでお産しましょう。
雄勝中央病院は母乳に熱心な病院です。

秋山クリニックでは、お産は出来ませんが、産後の母乳指導をおこなっています。母乳でお困りの方は、どんな方でも結構ですから、いらっしゃい。
母乳栄養に熱心な加藤助産師も居ますので、個人指導します。