お題
               

七夕マラソン 2006年8月

ハンググライダ−2006年11月

今年をおわるにあたって2006年12月

今日から2年目2007年4月12日

楽しかったハンググライダー 2009年1月5日


”物”を永遠に失うこと 2010年4月27日


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七夕マラソン

今年も例年でている湯沢七夕マラソンに出場しました。
今年は開業の年で、精神的に忙しくてなかなかトレ−ニングができませんでした。
さらにストレス太りも加わっていました。 言い訳です (ーー;)

マラソン10kmに出る前には、「最終ランナ−にはなりたくないなあ」などと余裕で笑っていました。
が、本当に最終ランナ−になるなんて


ええええ、まさかああ、いくらなんでも・・・・ (゚.゚)
少しは練習したんだし・・・・
後ろに誰かいるんじゃないのお・・・間違いでしょう (゚_゚;)


えええええええ、なんとまあ・・・ほんとかよ (>_<)


-----何とかして最終ランナ−になりたくないので、走るけど、もう時既に遅し
足は動かず、前を走るかなり高齢ランナ−とは次第に離される----


しかたねえか、今年は開業したんだし・・・・まあ、それでも完走すれば良いとしよう

もうすこし、練習すれば良かったかなあ (T_T)

でも、まっいいかああ。来年もあるんだしい〜 (^_^)v

---はい、この気持は、病気になった人の心の動きと似てますね。
癌になった人の気持ちと似てますね。
最後には、何とか気持を切り替え楽天的になるんだね

私も、いつの日にか、病気になり、怪我をしたりしますよね。
その時は身体の傷も治るように、こころの傷も同じようなパタ−ンをたどり、チャンと治ります----

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ハンググライダ−
私は約15年前からハンググライダ−を趣味にしています。
危険なスポ−ツです。

普通の飛行機と同じように、離陸と着陸で事故がおこりやすのです。

安全なハンググライダ−の楽しみ方は離陸しないことか、または着陸しないことです。
永遠に飛んでいる訳にゆかないので、着陸しないわけにはいきません。

だから、離陸しない事ですね。 (?_?)

でも離陸しないと楽しめない。

そのディレンマが寧ろ楽しいスポ−ツです。
離陸は自分自身で決めます。回りの人は誰も離陸に関しては意見を言ってくれません。

自分自身の責任が多いこともこのスポ−ツの楽しみです。

自分1人で決めて、自分1人で楽しむ(または自分1人悔しい思いをする)というのは、最近ないねえ。
義務のように、仕事のように趣味をやるのは、おかしいよね

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今年を終わるにあたって
間もなく2006年が終わります。
今年の春には、長年勤務していた雄勝中央病院を故あって退職し、小さなクリニックを開業しました。私にとって、また妻にとっても、激動の年でした。

電子カルテの調整がうまくゆかずに、オ−プンの二、三日前にようやくパソコンがうまく動きだしました。

事務員の知香子さんに対する模擬練習も、たった一、二回しか行えませんでした。彼女は今まで医療関係の仕事についたことがなかったのですから、ぶっつけ本番というのはこのことだったろうと思います。
でもまあ何とかうまく仕事をしてくれました。結構やるもんだねと感心しています。(^_^)v

私は、今思うと、軽度のうつ状態だったのかもしれません。毎日、暗いうちから目をさましてクリニックに出勤し、電子カルテの調整をしていました。患者さんから毎日毎日色々な訴えがあり、そのたびに電子カルテの調整(メインテナンス)でした。
パソコンの調整ぐせと、朝早く起きてしまう癖は、今もつづいています。

看護婦の紀子さんは、電子カルテ以外の医療関係の雑用をほとんど任せていましたが、彼女にも、感謝します。色々励ましてもらいました。ホ・ン・ト・に、良くやっていたなあ。<m(__)m>

臨時職員の豊子も、クリニックにでしゃばりもせず、それなりに適切に手伝ってくれて、クリニック内の雰囲気作りがうまかったと思います。感謝します。 (^_^;)

今年最後の患者さんは、診察券番号846番のかわゆい娘さんでした。丁度正月で里帰り中でした。

色んな患者さんにもありがとうと言いたいですね。無論私もがんばって治療しましたが、治療を受けに来てくれなければ、私は何もできないし・・・・・・、それに、大切な事は、お金が入らなければ私達が生活できなかったのですから。

来年は私のイノシシ年です。もう少し気持ち的に余裕ができて、色んな趣味を楽しみたいです。残されている時間もさほど多くは無いでしょうから。

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今日から2年目

今日から、2年目にはいります。
開業して一年での感想は
開業医が結構忙しい事。予防接種とか健康診断とか献血検診などなどで院外に出ることも多かった。それらは、私の専門とは異なるので、時間的には忙しいが、私の興味はほとんど無いために、全く仕事としてとらえないとやってゆけなかった。

結構忙しいといいながら、本筋の患者はあまり来ないものであった。雄勝中央病院に勤務していたときには、手術なども多かったが、開業して(一年目では)さほど患者さんの事で忙しいと感じた事はなかった。
医師不足などというが、開業した自分にはそうとは思えなかった。

1人での開業であれば、他の医師との連絡調整や会議などの用事がないので、仕事はスム−スであり、気をつかわないですむ。電子カルテなどは自分個人向けに調整できるので、間違いも少ないと思う

経営的には、思った以上にひどい。ゆっくりと患者さんと話をしても全く収入はすくない。
理想の、または理想に近い医療を行うと、私の場合には、まず経営的には駄目でしょうな。

以上が、一年目での簡単な印象です。いずれ、この印象は訂正される時が来ると思います。

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楽しかったハンググライダー (T_T)

秋田医報 No.1276 平成19年6月1日に投稿したエッセイです。
この6月24日の午後にハンググライダ−で事故をおこしました。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
     〜ハンググライダー〜
                          湯沢市 秋山 康夫

 私の趣味はハンググライダーです。
 17年前に寒風山でハンググライダーを習い始めました。
 「なんでまた、あんな危険なスポーツを始めたの」と良く聞かれます。
 私は、中学生の頃から飛行機のパイロットになるのが夢でした。医師になってからもパイロットになりたかったという事を、侮しさを込めて、思い続けていたためかもしれません。
 ハンググライダーは、アルミニウムの三角形の骨組みに布をかぶせたような簡易な飛行機です。
 ハンググライダーは、自動車と同じように、種々の性能のものが販売されています。ほとんどが外国製です。私の乗っているハンググライダーは、重量は32kg位で、値段は70万円程度でした。時々乗り換えてきましたので、現在の機体は米国製で四機目となります。
 ハンググライダーというスポーツは、たった1人で楽しむスポーツです。1人で空を飛ぶのですから、危険と考えるのは当然でしょう。
 しかし、ハンググライダーは見た目とは違い、安全で楽なスポーツです。 無論、どんなものにも危険はあるように、ハンググライダーにも危険があります。離陸時と着陸時が最も危険です。たった1人で楽しむのですが、失敗して怪我をするのも、自分1人です。飛行中は誰の援助も得ることができません。

 ハンググライダーの危険を完全に避けるには、結局ハンググライダーをしないことと言えます。お産の危険を完全に避けるには、妊娠しないことです…というのと同じですね。

 危険な離陸を行わない限り、楽しい飛行はできません。
 そして、いくら楽しい安全な飛行をしていても、最後には危険な着陸が待っています。
 楽しみと危険が裏表であることは、ハンググライダーの醍醐味でもあります。
 離陸地に立ってハンググライダーを構え、そして離陸を決断する。その時が最も大切で緊張する瞬間です。その離陸のタイミングは、パイロットが自分1人で決断せざるをえません。周囲の仲間は静かにして、本人の意識集中を邪魔しないようにします。ゴルフのティーショットのような感じでしょうか。手術でいえば、もろい血管近くのリンパ腺を廓消しているような感じの適度な心地よい緊張感です。

 ハンググライダーの目的は、上昇気流を探して、そこに留まり、出来るだけ高く上昇することが目的です。
上手なパイロットはど長時間飛行できます。動力がないグライダーなので、上昇気流がないかぎり、どこまでも飛べるというわけにはいきません。その意味で、気象の知識も必要です。積雲の下には上昇気流があるために、積雲をめがけて飛んでゆきます。

 離陸するには、重いハンググライダーを肩で担いで、斜面の上から、風に向かってゆっくりと歩き出します。数歩歩くと、機体は浮き始め、担いでいるハンググライダーの重さが感じられなくなり、むしろパイロットの体は、機体から引っ張りあげられるようになります。
 そして最後に空中にとびだします。パイロットの体は布製の袋に入って機体からつり下げられているのであって、手で機体にぶら下がっているわけではないので、飛行中には特別の強い腕力は必要ありません。
 空中に飛び出した後は、速度の調整や飛行方向の調整は、腕の操作ではぼ意のままです。
 練習を重ねると、長さ10m程の巽の微妙な傾きが容易に感じる事ができます。
 飛行中はその微妙な動きに集中しています。その翼の動きから気流の乱れを感じる必要があるからです。
 
 対気速度は大凡時速30km程度の速度ですので、風切り音が強くて結構うるさく、さらに上昇気流や気流の乱れへの対処、さらに他の機体への注意が必要なので、のんびりと飛んでいられません。
 
 楽しい飛行中でも、常に着陸の事を考えています。安全に着陸をして、初めて楽しい飛行が完成するのです。
 
 ハンググライダーにも高齢化が進んでいます。新しくハンググライダーを始める人はほとんどいず、以前からの人々がそのまま老人化するという事で、多くのハンググライダークラブには3Gとか2Gとか呼ばれる高齢の爺さん達がいます。
 秋田で実際にフライトしている最高齢は・・・私でしょう。孫はまだいないのでGさんではありませんが。
 
 昨年、私は勤務医師から開業医師に転戦しました。
 多くの医療関係者から、なんでそんな年齢になって開業したのかといわれます。
 「本当の趣味はハンググライダーです。他にも趣味があってね。いやあ開業は、三番目の趣味なんですよ」・・・とおおらかに、余裕を持って答えるはずでした。
 
 しかし、<趣味>は、見ることとやることは大きな違いがある事が多いようです。ハンググライダーでもそうでした。
 開業もそうなんですね。見ることとやることは違いました。

 しかし、開業して一年たち、ようやく一番目の趣味のハンググライダーも、楽しめる余裕がでてきました。
 三番目の趣味であるはずの<開業>には、まだ過度の緊張感がありすぎて、楽しめる余裕がありません。適度な緊張感で医療を楽しみ、「開業も趣味です」と言える日が、早く来てくれる事を待っています。


 

この写真は2007年4月8日撮影したもの(事故の約2ヶ月前ですね・・・(^_^;)・・・ )

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

今読み直してみると、何とも言えぬ寂しい気分がします
2009.1.5

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”物”を永遠に失う事

小さなクリニックを開業後、私にとっては、慣れた仕事と生活が始まりました。
開院後1年ほど過ぎた時、2007年6月に、趣味のハンググライダ−事故のために、突然の閉院。

この事故による頚髄損傷が、私にとって最大に近い<人生の区切り>でした。無論、死んでしまうことが人生の最大の区切りでしょうがね。 それに近い区切りと思います。

私は、いわゆる実験室での研究生活をせず、ずっと患者さんと共に臨床生活を送ってきました。
手術やお産へのテクニックをみがき、それを若い医師に伝え、社会に還元するという事が私の医師としての目的でした。
が、ハンググライダ−の事故のために、それまで、しがみつくように学んできた手術テクニックからはリタイヤせざるをえませんでした。頼りにしていた指が微妙に動きません。かすかな感覚は、もう失われてしまいました。
そして、足は充分に動かず、伝い歩きがやっとです。下半身の痛みと温度感覚は、部分的に、失われました。つねられても痛くない部分がかなりあります。
つねられる痛みは感じないくせに、右下半身には、常に、冷え切ったような、しびれた痛みがあります。

この事故までは、自身の身体については、自信がありました。でも、このほんのちょっとした怪我で、頼りにしてきた身体の運動機能と感覚機能の一部を、永久に、失ってしまいました。

頚髄損傷は、もはや元にもどれない道ですが、小さな発見や驚きがありました。人間の感覚というものは、感覚麻痺になってみて初めてその複雑さが解ります。いかに感覚に頼って、生きて、楽しんできたことか。
もし今、人の肌に触れ、その温かさと柔らかさを感じ取れれば、どんなにうれしいことか。
人間という動物は、その字の如く、動きまわると言うことがどんなに重要なことか。歩く事が、ものを考え、ストレス発散に重要な事か。自分で歩けなくなって、ようやく解る。「チョットそこらをブラブラしてきます」事が出来るすばらしさ。
退職、病気、引退・・・・。自分の意志や他人の意志によって、または偶発的に、頼りにしてきた”何か”をやめ、または失い、そして失われた世界で何かを始める。
今まで頼りにしてきた”物”を失うことは、とても寂しいことですが、失うことで得られる新しい世界は新鮮で、発見があります。
ある”物”への執着を断ち切ることは、仏教の基本でしょうが、私は、いまだに五蘊皆空は悟れぬ未熟者。
”物”にとらわれ、”物”を取り返そうとあがき、”物”を失うことを恐れている。
さあて、次の区切りは何だろう。何かを失うのだろうか、何かを得るのだろうか。

                      (2010年3月ある雑誌への投稿文の一部改変)


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