秋山 豊子の自己紹介


私は山形の寒河江(さがえ)という所の出身です。
寒河江の西根という学校に通いました。田舎の素敵な学校でした。
小さいときから体が弱く、親には心配をかけました。
体が弱いくせに、気持はむしろ強くて、蛙の解剖などは大好きでした。
そんなことも影響したのでしょうか、準看護婦、看護婦、助産婦の道を歩みました。

山形県立中央病院に勤務していた時でした。彼が産婦人科研修医として県立中央病院に来ました。
最初の印象は大柄なやさしい人という印象でした。

彼と結婚。以後、夫は様々な病院でずっと勤務医の仕事をしていました。
私は一男、二女の3人の子の母になりました。
私は子育てのあわただしい時期も過ぎ、夫は長らく勤めた雄勝中央病院をそろそろ退職
し、二人でゆっくりできると時期と思っていました。何しろ忙しくて新婚旅行も行ってない位でしたので。

でも、フトしたことから、夫が開業すると、突然言い出しました。

それまでも、夫は物事を、相談もなく、自分で勝手に決めて、危険なハンググライダ−やトライアスロンなどをやってきました。
私は、今回は、絶対に、夫の開業に反対でした。
これまでも碌々寝ないで仕事をしてきたのに、開業でのストレスで体をこわすのが心配でした。
私自身も体調は、決して頑強ではありませんし・・・。
でも結局、私は一切クリニックの仕事を手伝わなくて良いという約束で、夫は開業いたしました。

開業1年を過ぎた頃、ハンググライダ−の事故がありました。
私は夫が死んだと思いました。職員達も奈落の底に落ちた時でした。
心配していたことが現実になったのです。

体を全く動かせず、麻痺しているのに痛みの感覚だけあるつらそうな時期を過ぎ、
やがて大仙市のリハビリセンタ−を退院し、開業に復帰できました。

私も、もはや、クリニックの仕事を手伝わないわけには行きません。
クリニックの内外の環境整備や院長としての夫のお世話
・・・そして時々、臨時ですが、皆様の前に出て診療を手伝うことになりました。
しばらくは不慣れのために患者の皆様にご迷惑をおかけするかもしれません。
何か気配りの足らないことがありましたら、どしどし注文をつけてください。


院長と私と事務の知香子さんの子供さん(かわいい女の子)