佐藤知香子の自己紹介 その3

2012年1月より産休をいただきまして、無事に第二子を出産してきました。
今回は、私の分娩までの話を簡単に書いてみます↓

【PM1:00頃】、なんだかお腹がいたいような・・・。もしや、これが陣痛の始まり?
(前回は、下記にあるように破水→促進剤をしたので、自然な陣痛の始まりを経験していませんでした。)
そうこうしていると、おしるしがあり、痛みも規則的に、そして強くなり、【PM4:30頃】、クリニックにて診察し、子宮口3pほどで柔らかくなってきてるから、いい感じ!いよいよだから頑張れと、看護婦さんに励まされ、雄勝中央病院にPM6:00頃入院。
その後、陣痛室での痛みとの闘いをし、【PM8:30頃】、分娩室へ移動。(でも、この頃の痛みは、まだ耐えられる程で、前回促進剤を経験した私は、自然の陣痛だと、余裕あるんだ!と思いながら)2回目だし、今日中に生まれるかな〜と安易に考えていました。
やはり甘かった・・・。
【PM10:30頃】、あの耐え難い陣痛との闘いがスタートしました。痛みは強いけれど、なかなか子宮口が開いてくれず・・・。気持ちがめげそうになりましたが、心の中で、この痛みがなれば、赤ちゃんは生まれてこられないんだ!と唱えながら・・・、旦那さんにも、頑張っておしりや腰を押してもらいながら・・・、結局6時間程経過した【AM4:30頃】、無事に生まれました。

意外だったのは、初産時には、会陰切開をして出産したので、いきみだしてからは、スルっと出ましたが、今回は2回目と言うこともあり、切開をせずに出産したので、いきみだしてから赤ちゃんが出るまでの時間が予想より長かったのと、切開した時より痛みが強かったです。
でも、生んだ後のダメージが少なく、スイスイ動ける自分に驚きました。

前回の時もでしたが、私は今回も、夫のサポートがあり、なんとか出産できたと思います。
女性にとって、お産は、人生で一番大がかりな事です。これから出産される方は、ぜひ夫立ち合い分娩をしてほしいと思います。女性が必死に痛みにたえて、頑張って赤ちゃんを産む姿を旦那さんにも見て欲しいから!そうしたら、出産ってどれだけ大変な事なのか、わかります!

そして、旦那さんも奥さんをマッサージしたり色々なサポートをしながら、赤ちゃんに出会うために二人で頑張れば、お産の喜びが増しますし、やがて大きくなった子供に、パパとママの二人から、生まれた時の話をする事ができます。
男性は、出産は【グロ】いから見たくないとか言いますが、でも、【グロ】くても、そうでなければ、いとおしい赤ちゃんは生まれないんですよね。
陣痛もです。痛くなければ、赤ちゃんは生まれないんですよね。

・・・なんだか、ちょっと偉そうな感じになってしまったので、このへんにしますね(笑)

                             2012.6.5 

 もう3ヵ月になりました!上の子は3歳です!
                                          

佐藤知香子の自己紹介 その2

今まで、スタッフとして、秋山クリニックから沢山の妊婦さん方を、お産施設へと送り出してきましたが、今度は私も妊婦さんの立場として秋山クリニックを卒業し、お産施設へと入学します。

期待よりやはり、お産と子育てへの不安が一杯です。
クリニックから卒業して行った妊婦さん方は、こんな複雑な心境であったのかなと思っています。

いくら話しを聞いたり本を見ても、想像しか出来ないお産への恐怖・・・、そして、私は、ちゃんと出来るのかなというお産に対する不安・・・、夫と自分の愛おしい赤ちゃんとやっと会えるという、うれしさの間で、なんとも言えない心境である私ですが、母になる為、頑張ってきます(^^)/

なんだか、先輩ママや院長や加藤助産師さんが、これを読んだら、・・・・・・・・笑われそうですね(笑)
私は、結構ヘタれなんですよ (/_^ゞ
                                           2009.2.28
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・・・と、お産前は不安でいっぱいの様子でしたが、4月になんとか男の子を出産する事が出来ました!

本を読み、お産について勉強していたつもりでしたが、実際の私のお産の経過は、薬で陣痛をおこしているのに、なかなか子宮口が開かなくて、本とは違い、時間がかかりました。
明日には産まれるのカナと思っていても産まれず、私はどうなるんだろうと、先の見えないお産は正直辛かったです。そして、想像以上に痛かったです!
この痛みは、産まれた我が子の顔を見ると忘れてしまうと、よく言いますが、私は、やはり痛いものは痛いと、はっきり覚えていますっ(笑)これからお産をする方にはすみません・・・(>_<)
ただ、経過が長くて辛かったですが、子宮口が開き、いざ本番になると、あっと言う間に分娩していました!以上が、お産の感想です(^_^)

でも、毎日成長し、いろいろな表情を見せてくれる子どもは、やはりとっても可愛く、痛い思いをして産んだ価値は、何十倍もあります♪

・・・と、こんな所で・・・。では、皆様、またよろしくお願いします(^_^)v
                                           2009.7.1

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院長の話
「私も、時に、知香子さんのお子さんと会うことがあります。まるまると太った赤ちゃんらしい子どもさんです。
とても活発で元気で、さぞや、お爺さんやおばあさんも喜んでいるでしょう。」
                                            2010.1

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上記で書いているように私は現在2歳2ヶ月の子供がいます。男の子なのでかなり活発です。
皆さんご存じの通り、父は身体が不自由な為に、歩くときもゆっくりペースです。そんな父に、子供がうしろから“ドンっ”と押したら危なくて、毎日ひやひやしています。ただ、赤ちゃんの頃から【じぃじ】は杖をついて不自由な所を見ているせいなのか、小さいのに、福祉の心をもっている子で、【じぃじ】の行動を見て、杖を渡したり、靴を揃えたりと一所懸命に【じぃじ】のお世話をします。
そんなコンビを見ているととっても面白いです。
                        
                                           2011.6.17

    

初公開 遥真(はるま)です。【じぃじ&ばぁば】と。


佐藤知香子の自己紹介 その1 開業当時

私は、2008年9月で26歳になります。あっという間の18歳〜20代前半でした(泣)
ここで少し昔の私の紹介を・・・
まず、増高卒業後、仙台の専門学校に入りました。その頃は本当にヒドかったっですね・・・遊びに夢中で、1年の頃は、学校には行きたい時に行く、というスタイルを勝手につくってました。そして、何よりひどいのが身なりですっ(>_<)
金髪にサングラス(浜崎あゆみ風)口にはピアスして、ギャルでした!夏休み、湯沢に帰って来ると、かなり浮いてたでしょうね(泣)でも、そんな事にも気づかない当時の私でした。
※結婚式でのスライドショーには、当時の写真は封印です(笑)

そして、今の私の紹介を・・・
実をいうと、医療関係とか事務関係の仕事には全く興味がなかったです。しかし、父と色々話し合い、クリニックのスタッフとして参加する事となったのです。
沢山の患者さんと関わり、医療に対しての考え方に変化を感じてきている所です。私は、看護師ではないので、詳しい事はわかりませんが、初めて来院された時は悲しそうな顔や不安な顔をしていた患者さんが、診療が終わった時には、ほっとして、笑顔になって帰っていかれる姿を見ると、私もうれしい気持になれるのです。患者さんが「ありがとう」と、言ってくださると、やってよかったなと感じます。
もともと接客業が好きだったのですが、この仕事を実際にやってみて、接客業と似たような部分がある事に気づき、やりがいを感じている所です。

と、まじめな感じはこの辺にして・・・
実は私は、両親の影響で社交ダンスを習ってるんです♪両親は私が高校の頃にはすでに習っていましたが、その頃の私には、全く興味もなく社交ダンスという響きだけで、年配の人がするもので、ダサいとしか思っていませんでした。
そんな私が、なぜ社交ダンスを始めたかというと・・・両親が「ダンスやってみてよ」と、うるさかったから!!何かっていうと、「ダンスしようよ」「自分の可能性ってわからないものだよ」です・・・。もううんざりでした。これには、さすがに根負けです(T_T)
それがきっかけなのです。それがもう4年になります。実際やってみると、とてもハードでこれは完全にスポーツですよ!イヤになった時期もありましたが、なんとか続けてます♪競技はやってませんが、パーティーで先生と踊ったりします。大きいフロアーに先生と二人だけです!これは何回やっても慣れませんし、緊張するんですよね(>_<)
でも、この趣味は、出来る限り続けて行きたいと思ってます。継続は力なりです!
ちなみに、横手のダンスカレッジオオヒナタという教室で、今は週1回レッスンしてますよ♪興味がある方はぜひAダンスカレッジオオヒナタにどうぞっ☆

そんな感じで、社交ダンスのように、今の仕事も、事務なんてイヤだと思ってましが、実際にやってみたら意外に好きでした。自分の可能性は、やってみない事にはわからないものですね(*^_^*)・・・と、大人になった私は、そう思うえるようになったのでしたっ(笑)少しは中身が成長出来てるのでしょうかねぇ(笑)
以上、私自身の紹介でした♪



知香子さんの両親から聞いた話です。
知香子さんは小さい頃は、とてもユニ−クな子供さんでした。
小学生の時には<バイソン木村>とか云われたように、活発な、暴力的な、原始的なお子さんだったようです。
ユニ−クさは中学校の時にもあらわれ、算数だったかのテストで三点をもらってきて、「零点だったらまだしも、三点とはねえ。ううう・・んんん・・・、めずらしい」・・・と両親をおもしろがらせたようです。
このような訳ですから、中学校卒業の時には「高校に行きたくない、学問ばかりが人生ではない」とか理屈をならべる娘に、両親は「高校に行かないと修学旅行にいけないんだよ」と説得したところ、直ちにその理論を撤回し、高校にゆきましたとさ。

「知香子さんは明るい朗らかな人です。私は、最近の若者ファッションとか若者言葉を知香子さんから習っています。ダンスも上手な可愛い人ですよ。病院のロゴマ−クをつくったのも知香子さんです。皆さんどうか彼女を厳しくかわいがってください」というのが院長の意見です。

一応標準的に、すました知香子さん



どちらかというと、こっちが真実かな キャピ